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ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない)

評価:
渡辺 千賀
朝日新聞社
¥ 735
(2006-12-08)
Amazonおすすめ度:

シリコンバレーでコンサルティング会社を経営する渡辺千賀さんによるシリコンバレーの働き方紹介。
ブログが興味深くていつも拝読してたので、買ってみました。


ご本人は東大工学部卒、スタンフォード大MBA、三菱商事やマッキンゼー等を経て独立というハイスペックな人なので(おいしいケーキもつくれるらしい)、いやー理系の頭のよくてウィットに富んだ感じの女性ってこういう話し方するよねー、という感じで(どういう感じだ)好感を持った。


シリコンバレーがいかにドライで世知辛くて能力主義で明るくてリベラルでリスキーでごきげんか、っていうガイド。


さて、本書はいくつかの読み方がある。

1 異国の地で起こる変わった人たちのオトギバナシとして読む
2 日本での働き方・生き方の参考にする
3 モノはためしでシリコンバレーで働いてみるための参考にする

私としては、是非3の人が増えるといいなぁと思っている。 
(はじめに)


シリコンバレーは、半導体に使われる元素のケイ素(silicon)から来た名前だそう。Googleがあることで日本でも有名になった気がするけれど他にもインテルやアップルなどそうそうたるIT企業、および明日のGoogleにならんとするベンチャーがひしめきあう、いまや世界中のオタク、じゃなかった技術関係の頭脳が集ってウェブ2.0を発電しまくっている地域(たぶん)。シリコンバレーから日本へ情報を発信し続けている先駆者には、『ウェブ進化論』の著者、梅田望夫さんがいる。

テクノロジーしかないシリコンバレー
 シリコンバレーはとてもこぢんまりしている。しかし、そこは著しく技術に偏った場所でもある。人口二四〇万人、就業人口一一五万人。うち三三万人がITやバイオといった技術系の仕事をしている。「人口の30%しか技術系じゃないじゃん」と思われるかもしれない。しかし、それ以外の七割には、警察官、医者や看護師、建設、デパートやスーパーで働く人、新聞配達、庭師、家政婦など、ありとあらゆる人たちが含まれている。だから、日本で言うところの「サラリーマン」的な人たちについていえば、会う人会う人何らかの形で技術にかかわっている人、という感じ。
(p37)


一言でいうと、なんだろうなあ、ギーク天国!って感じなんだろうな。
技術と信頼さえあれば他(コミュニケーション能力とか服装とか国籍とか人種とか)は全然なんでもおっけ、スペックに応じてきちんと給料がもらえ、その代わり解雇の危険とは隣り合わせ。包丁一本のIT版なんだねー。


文系の方が生涯所得は高いってよくいうけど、技術者という人たちがその現場にとどまることを選択すると(管理職にならないと)ある一定以上の地位や報酬がもらえないのがありがちな世の中で、
シリコンバレーでは技術者が一番偉く、能力に対しては給料なりストックオプションなりできちんと優遇される。
だから、技術者の人たちがモチベーションを持ちやすい。そしてそんな環境を求めて世界中から優秀な技術者が集まるから、技術者の人たちにとって一番楽しい環境、ハイレベルな頭脳戦、切磋琢磨の場が生まれ、それがまたモチベーションになる。


本書ではそんな彼らのライフスタイル、人生設計、週末の過ごし方や人間関係など、いろいろと紹介されている。


帯には、”ここに、シリコンバレーで誕生した、会社に依存しない働き方がある”とある。

たしかに、技術さえあれば会社と対等な関係で、フリーランスとして、個人事業主としてやっていける。正社員が偉いという文化がないから、個人も企業もお互い無駄のない契約で仕事を進めていける。ありそうでなかった環境。
それだけに危険も多い。病気になっても給料くれるような正社員と違うから健康第一だし、日本みたいに公の保険がないから保険料も医療費バカにならないし、いつ首切られたり会社が倒産するかわからないし。
でも、その分稼げるときには全身全霊で稼ぐ!稼げる!自分の能力を試せるしそれがきちんと報われる!
というのは魅力だなあ。



さて感想。
・・出てくる人がハイスペック過ぎてどうにも参考にしようが(汗)。
出てくる人出てくる人スタンフォードだMIT(もちろん博士)だMBAだっていうのが基本の人たち。
いやま、そうなるんだろうなあ。
それでも失業したりするらしいし。

ていうかその前に私文系だし。

レベルにしても分野にしても対極の私が読んでしまったようですよ。はい。
ヒューマン-2.0な気分になりました(笑)。


でもそういう人たちの生態を知るのは楽しかったです。
わかるよね。
技術だけに没頭してれば幸せって人はさ、
やれコミュニケーション能力だ服装だに気をつけろみたいな
ジェネラルなこと要求されてもっていうとこあるじゃない。
日本だと普通、オタク呼ばわりされて社会性がないっていわれて下に見られていいように使われて終わりだけど、
逆にいうと、技術開発だけさせておけば幸せな人たちなんだから、そんなに手のかからない人種もない。
そういう人たちがもっと快適に過ごせる楽園があってもいい。
そういう人たちが自信を持って、どんどん素敵な技術を開発してほしい。


文系分野、それも普通の頭の人の分野までこの本で言うところの”ヒューマン2.0”になるには、ウェブの方が20.0くらいになってそうだけど、
ま、働き方自体はどんどん多様になっていくでしょうね。


管理職になるにつれて給料が増えるしくみだった会社という組織が、管理職はマネジメントという技術として、普通の技術者と同じように専門技術としてみなされたりもしてきてるし、そういった意味で、従来の会社のヒエラルキーと違った、それぞれが専門を究めたプロフェッショナルからなるモジュール型の企業っていうのも増えるのかな。


それはそれでけっこう健全なんでは、と思いました。


ま、街としては、私はドライで実力主義でフラットな世界よりは、文化と歴史があってよくわかんないその土地にだけ通じる常識があって頑固だけどいいところもあってうざいけど頼りになる、みたいな土地の方が好きかなあ。
どうもギークな人たちとちがって、コミュニケーションのめんどくささが生きるモチベーションになるってところがある。ま、文系だからね。
author: chanm
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まずは小さな世界で1番になる

評価:
江村 林香
かんき出版
¥ 1,470
(2006-03)
Amazonおすすめ度:
本は日々、いちおうごりごり読むんだけど、読書メモも何も取らないでいたら、私の脳だとやっぱりさっぱり忘れることが判明。ちょっと(けっこう)放置気味だったこのブログに気合を入れることにしました。



この本はidea*ideaの記事を見て。

著者はこの方。エアトランセという航空会社の社長さん。帯の写真を見て、社長業の女の方にしては、やわらかい笑顔だなあと思って惹かれました(ブログは昨年末で更新を止められたみたいですね)。


読んでみて、いやあ、物腰は柔らかいけど、やり手だわ、というか、譲らないところは絶対譲らないのがかっこいい人だなあと。脱帽。


ご本人曰く、エリートでもなければ学歴もない”普通の人”。
でも、家庭の経済的事情で自分の学力より1ランク下げて入学した高校で1番になり、そこから、小さなことでも一つずつ勝っていって、自信をつけることがすごい大事だ、と実感されたそう。お父さんがそのとき教えてくれた”鶏口牛後”という言葉、それを戦略に人生を開拓されているとのこと。


短大に入り、割のいい家庭教師のバイトを探したけれど、有名四大の学生じゃなきゃと門前払い、でもそこで自分じゃなきゃ教えられない”顧客”を探し出し月60万を稼ぐ&みんな高校合格、高校生のとき、小さな店をわざわざ選んで時給400円で始めたバイトも最後には1,700円に。バブル期の大手内定を蹴って社員3人のベンチャーに就職、そこから新規事業をいくつも立ち上げ。現在は地域密着型航空会社の社長。御年38歳。
二児のおかあさん。

旦那さん選びの方法がかっこいい。
結婚する前、私は合コンやパーティーで知り合ってメールをくれた男性に、私と結婚するための条件を書いた「契約書」を添付して返信していました。内容は、こうです。

「夫が子育てを八割負担すること」
「夫は三年以内に年収2000万円以上になること」
「夫は妻を怒ってはいけないこと」
「仕事を止めろとは絶対に言わないこと」
「世界で唯一の結婚式を挙げること」

こんな条項が並ぶ「契約書」を見たら、普通の男性は「なんてひどい女だ」と引くと思いますよね。でも実際は、半分くらいの男性が面白がって返信してきました。
(中略)
 そしてほとんどの男性が「面白い人だね」とだけ返信してくる中、契約書の中身を書き換えて返信してきた人が一人だけいました。それが後に夫になる中山さんです。
 彼のメールにはこうありました。
「君が送ってきたのは『契約書』ではなく、『命令書』だ。僕からも一つ、条項を加える。『妻は四〇歳までに自分の会社を1000億円企業に育てること』」
 また彼はベンチャーキャピタルに勤めていたこともあって、続けてこう書いていました。
「そんな小さい売り上げで経営者というには図々しい。もと大きな事業をやってこそ経営者だと思う。あなたにそれぐらいの気持ちがあるならば、契約はいつでもサインできる」


かくしてハイスペック夫婦誕生(笑)。カコイイ。
契約どおり、子供が熱を出したら「僕が病院に連れて行くに決まってるじゃない」という旦那さんとともに、ご自身もまずは”北海道で1番”から、四〇歳で1000億円企業の達成に向けてがんばってらっしゃるとのこと。


人との関わりあいが大好きで、仕事で病気が治るくらい仕事好き、ウィル(熱意)にあふれる江村さん。
仕事上で、人との付き合いで、小さな、基本的なことをいくつもいくつも大切にして、人生を進めてこられているのだなあという感じがした。仕事を捨てず、家庭も捨てず、旦那さんと、子供とお互いリスペクトしあって人生を生きている。
ご本人は”普通のこと”とおっしゃるけど、ほんとに天性の仕事人間で、その熱意で、人をどんどんファンにしてしまう魅力にあふれてるから、周りがつい応援してしまうんではないかなあ。


いろいろと、気をつけていたり、心がけられていたりするちょっとしたノウハウが、なんだか読んでて元気になりますね。社会人や起業したい人(あと卑屈じゃない、ほんとに女性を尊重できる度量を持った男を探してる人w)はいろいろと参考になるんじゃないかな。


私は残念ながらあんまりそういう(起業したいとかいう)志向ではないけど、
こうやってやわらかくしなやかに自己実現されてる女性の話を読むと、
まだまだ女性は、男性は〜であるべきだってうるさい人多いけど、
その辺は軽くスルーして、
男も女も自分の性に合った人生を楽しく生きるのは全然可能だな今の日本、
とげんきになりました。


この会社はやく本州上陸しないかなー。

author: chanm
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時間についての十二章

時間についての十二章―哲学における時間の問題
−哲学における時間の問題−  内山節
時間についての十二章―哲学における時間の問題


先輩から紹介いただいた。
絶版らしいので、市立図書館で取り寄せてもらった。
じっくり読んでいたら大幅に貸し出し期間をオーバーしてしまったらしい。
図書館から督促状が来てしまったのであわててまとめ。
(ごめん図書館、、)


時間。
等速で不可逆で客観的で平等なもの。
ということになっている。
それに従って、それを指針にして、今の私たちは生きている。

時間、というのは、
哲学と物理学が両方とも取り組んでいる問題だけど、
私は、物理学の方も詳しく知らなければ、哲学の方も実は良く知らない。

でも、言えるのは、多分両方とも、
”等速で不可逆で客観的で平等”な時間ってのは、
人間がそういうことにしておきましょう、と言っているだけで、
共同幻想みたいなものだ、という認識でいるということだ。
もちろん、上手く機能してるから破棄はできないけれど。

ただ、「真の時間とは?」と考えるのも楽しそうではあるけれど、
実際問題ほとんどの人にとってはどうでもいい。
今の時間の捉え方で不都合がなければそれでいいし、
窮屈なら変えればいい(そう、変えていいのだ。たぶん)。
真の時間がどうであろうが、もしくは時間など存在しなかろうが、
私たちに”時間を認識してしまう”機能が備わってしまっている以上、
大切なのは「私たちが時間をどう認識すると人生上手いこといくか」、だ。

だから、時間の問題は、
哲学と物理学、両方から考えられる性質を持っている。
両方とも、人間と時間との関係を探る。
前者は人間の側から、後者は時間の側から。


さて。この本は、哲学書です。


著者は群馬県に畑を借りていて、そこに東京から通い続けて、
この本を記していた時点で20年以上が経過したという。
村の人々の生活から、近代的な時間と何か違うものを感じ取り、
そこから考察を拡げていく。

著者は川を見た。
ゆらぎながら、蛇行しながら、その時々にリズムを変えて流れ行く優しい川。
・・増水したときには、まっすぐに、等速で冷たく進む恐ろしい川。

著者は山里を見た。
春夏秋冬のリズムに暮らしが配置される。
春には春の行事、夏には夏の作業、秋には秋の慣わし、冬には冬の作法。
そして一年が終わると、春が”戻ってくる”山里。
・・それを「毎年同じことをして、、」と、都市を知る青年達は思う。

著者は森を見た。
育つのに何十年、何百年もかかる木。人々は、先祖の育てた木を伐り、子孫のために植える。
・・それを限られた時間の区切りでの「費用対効果」で測る市場。

何かの矛盾がある。著者の中に時間に対する二種類の感覚が生まれた。
人や自然との関係から生まれる時間と、客観的に人間を統制する時間。
横軸で繋がる時間と、縦軸へ進む時間。
回帰し循環する時間と、捨て去り進む時間。

労働からの疎外、労働によって自分の人間性が失われていくような感覚、
それはマルクスが指摘した。
しかしそれは、ほんとうに労働からの疎外だったのだろうか?

著者は静かに問う。

労働を測るために、私たちは「時計の時間」を使った。
労働の成果を自分達へ取り戻そうとしたマルクスも、
それを測ることに時間を使うことを否定しなかった。
さて、労働が自分のものになったとして、
それで本当に疎外が解決されるのか?
その価値の測定基準には、「時計の時間」が含まれている。
さて、その時の「時計の時間」自身があなたを疎外している可能性はないか?

著者の考えが、端的に説明されているところを、
長いけれど、引用させていただきたいと思う。

私たちにとって時間とは、たった一種類のかたちで存在しているわけではない。にもかかわらず今日の私たちは時計の時間を、唯一絶対のものであるかのように考えている。それは現代社会が時計の時間を絶対的な基準に据えてつくりだされているからではないだろうか。そしてその基礎には、資本制経済が時計の時間を価値基準にして形成されているという問題がある。今日の経済社会は、時計の時間にもとづいて労働力を購入し、労働時間によって価値を生産する社会である。

 おそらくこの時間世界の特殊性に気づかないかぎり、私たちは資本制商品経済とそのうえに展開する現代社会の特殊性を洞察することはできないであろう。

 なぜ私たちは時計の時間にしたがって成長し、時計の時間にしばられながら就職し、定年を迎え、時計の時間に計算されて死ななければならないのか。それは現代社会がこの時間にもとづいてつくられているからである。
 私たちは本当はそれ以外の存在の方法がある。そしてそれをみつけだすには、現代を支配している時空とは別の時間世界を発見しなければならない。なぜなら人間の存在とは、それ自身が時間的なものだからである。存在が時間をつくり、時間が存在をつくる。すなわち時間の存在形式は、人間の存在の秩序である。労働の時間の存在形式が、人間の労働の存在形式であり、労働の存在秩序であるようにである。
(第七章 商品の時間 六 p168)


著者の考察過程は、優しく、静かで、深く、私たちが着いてこれるように、緩やかに進む。
私たちが、自由を求めて個人を重視し始めたはずなのに、
逆に一律の基準にすがることになってしまった過程を、
そしてその気付かずにいた苦しみを、
露わにする。
時間について考えることが、
こんなにも自分自身について考えることだとは、
思わなかった。
という驚きが一番の感想である。


この本が出たのは1993年。
その後、世界は激的な変化を迎えた。
自己実現、人々が求めて止まないそれは今、
客観という冷たい基準に身を焼かれる覚悟を必要とする。
本能がそれを拒否し、「社会に出ない」事を選択する多くの人たち。


今の時代にこそ、本当に読むべき本だと思った。



・・ちょうどこれを読んでいたときテレビをつけたら、
寺山修司脚本・監督の「さらば箱舟」という映画の紹介をしていた。
そこには時間と空間が倒錯した、
でも幻想とは言い切れない世界観が映し出されていた。
時計が一つしかない、みんな同じ時間を共有している村。
様々な事件が起こるうちに、
村人達は、個人個人が腕時計を持ち、「近代化」した隣村を知ってしまう。
そして、一つだけの時計を共有していた時間を捨て、
やがて、全員隣村に移ってしまった。
最後、1人だけ村に残っているシーンが映し出された。
狂ったように叫んでいる。
『百年たったら帰っておいで、百年たったらその意味わかる。』


観ろ、ということかな、と思った。今度借りてみよう(レンタルしてるのか?)。

・・その意味・・分かるかな、私に、、。

さらば箱舟
さらば箱舟

author: chanm
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ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門

ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門
ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門
カレン・キングストン, 田村 明子

今のところ世界一お薦めの片付け指南書です!
だってこの私を片付ける気にさせたんですもの。

世の中には「片付ける」「捨てる」「整理する」について
書かれた本は沢山あるとは思いますが、
それらはだいたい「既に片付ける気になっている人」向けです。
もちろん、片付けたら、捨てたら、整理したらどれだけいいかが
いろいろと書いてあるんだけれど
でもモチベーションが弱いときは読んでも、
「わかってるんだけどねぇ。。。」となる。

でもこの本は
雑然・乱雑の中に住んでいて(周りはイライラさせるにせよ)
本人は「どこに何があるかはわかってる!」というような人にまで
「しまった!片付けな!」という気にさせるのです。


著者は、カレン・キングストンさんという女性ので、
英国生まれの風水師の方。
風水師というより、「スペースクリアリング」という、
もうほんと「お片づけ」に特化した専門家。

彼女は空間や物質のエネルギーを感じる能力を持っています。
そして、「不要なもの」がその家・その家に住む人の
エネルギーを滞らせていることに気づいたのです。

それを取り除くスペースクリアリングには、
主に以下の3種類を対象にするそうです。
○物質的な汚れ
○前の住人の残留エネルギー
○不要な「ガラクタ」

この本は主にそのいちばんやっかいな、
「ガラクタ」を取り除く指南書です。
「ガラクタ」とは、エネルギーの渋滞である。

身のまわりの生理整頓をする指南書のようでいて・・
・・人生の生理整頓がテーマです。


ちょいと目次など
第5章「ガラクタ」の与える影響

持っていると、疲労感をおぼえ、無気力になる/過去の呪縛を溜めこむこと/体の動きも滞らせる/あなたの体重にも影響を与える/混乱のもとになる/人々の対応にも影響を与える/何事も延期しがちになる/不調和が起きる/自分を恥じるようになる/人生の展開が遅くなる/気分が鬱になる/超過荷物になる/感性が鈍り人生の楽しみを味わうことが出来なくなる/余分な掃除を強いられる/生理整頓が悪くなる/健康に悪く、家事の危険性を招く/好ましくない信号を発する/お金がかかる/大切なことに頭がいかなくなる

第6章人はなぜ「ガラクタ」をためるのか

「いざという時のために」溜め込んだ/自己存在価値という執着心/社会的地位という見得/安心感/縄張り意識というエゴ/遺伝する「ガラクタ」を溜める習慣/多いほどよい、という信仰/「ケチ精神」/感情を抑えるために物を溜め込む/脅迫観念

・・思い当たりませんでしょうか、みなさんも・・。

理屈で考えてそうだろう、というものから、
気やエネルギーの停滞(家のエネルギーの停滞は本人に乗り移っているそうで)についてまで
いろいろと実例が挙げられており、
読んでいるうちに、
「一刻も早く捨てなければ!」という思いに駆られるのです。

えっと、私も片付けました。はい。
運気的にはどうなのかな。まだあまり時間たってないからあれだけど。
とりあえず精神衛生上はすこぶるさわやか。


他にも、部屋を9区画に区切って、
財産とか、名誉・知名度とか、人間・恋愛関係とか、仕事とか、
それぞれどこのエリアが滞っていると
それぞれに対応した事柄が滞る、
という風水定位盤の図説があって
参考になります。


部屋やデスクが汚い人にはもちろんお薦めなんだけど、
きれいにしている几帳面な人も
案外物持ちだったりしますし。そんな人にも。
500円くらいの文庫です。

アマゾンの評価も高いので、ご参考に・・。
author: chanm
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唯脳論

唯脳論
唯脳論
養老 孟司

バカの壁」がベストセラーになった養老孟司氏の、
初版1989年の本。(あれ、15年も前?)
私は最近買ったので「今が旬!養老孟司フェア」(笑)という若干失礼な帯が付いている。
この本を初めて読んだのはたぶん、大学入りたてのころ、図書館で。
あのときは文庫版が出てなかったからな。学生って、単行本は買わない主義よね(?)。

あの頃私は、「神はいるか?」なんてものすごく体勢にも人生にも影響がないことを考えて(2週間くらい)いて、たぶんあのときの結論は「いない」で、それを確かめるためになぜか、この本を手に取った気がする。
(今の考え方は結構違うのですが、、まあ、若かったから、どっちかにしたかったのよね、結論。)


さて、「唯脳論」という題名、養老氏によると出版社の人が考えてくれたらしいけれど・・
どんなイメージを持ちますか?
この「唯??論」っていうのはいろいろバリエーションがあるんだけれど、
基本的に、世の中は、つまり、??だ、と説明するのに使う。

よく言うのは「唯物論」と「唯心論」。
前者は「世の中って基本、”物”でしょ。心だって、物質に左右されるのよ。体だって物質の集まりだし。」という考え、
後者は「世の中って基本"心”でしょ。感じる心がなければ物も存在しない。この世は人間の心の働きが投影されて出来上がっている。」という感じ。

でね、前者が物理学者で、後者が哲学者の言い分かな?
と思うとそうでもない。
哲学者・思想家の中でもこの対立はあるのです。
・・・・・・・・ってちょっと古き良き時代の話。多分。

で、唯脳論。

唯心論が好きな方、お、心じゃなくて脳ですよ。反発持つんじゃないですか?
脳と心は別だ。世の中は脳だけじゃない!って。

唯物論が好きな方、お、物じゃなくて脳ですよ。反発持つんじゃないですか?
世の中がそんな人間の脳という不安定で個人差がある物質で説明されていいんですか?


物理学者でも哲学者でもなく、解剖学者の著者は言う。
 一般に自然科学者は、考えているのは自分の頭だということを、なぜか無視したがる。客観性は自己の外部に、つまり対象にあると思いたがるのである。
しかし、そのような「科学研究の結果」、すなわちいわゆる業績は、自分のもの、つまり自己の内部のものだと思っているらしい。ノーベル賞を貰ったりするからである。
そのような業績は、多くの場合、当人の脳の機能である。しかも、その業績が誰にでも理解できるとしたら、それは誰の頭にも同じ機能が生じ得るということである。
そう考えると、「客観的事実に基づいた研究業績」とは、本当にはどこが自分の業績か、そこが判然としなくなる。その為に、自然科学者は、自分と他人の脳のことなど考えたくないのであろう。
 人文科学や社会科学の人たちは、脳といえば自然科学の領域だと思っている。自然科学も何も、そう思っている考え自体が、自分の脳の所産ではないか。
こうした諸科学から言語を抜いたら、何もできなくなるであろう。言語は感覚性言語中枢から運動性言語中枢へ抜けて、運動器によってきちんと外部に表出される。
まさかその性質をしらないでよいという言い方はあるまい。人文科学者であろうと、脳血管障害を起こせば言語がうまく使えなくなる可能性がある。
それどころではない。大脳皮質が退行すればボケてしまい、かつて自分の言ったことすら理解できなくなる。

要するに、あらゆる科学は脳の法則性の支配下にある。それなら、脳はすべての科学の前提ではないか。 (文庫版:p15)


そう、唯心論も唯物論も全てのほかの哲学も科学も、創り出すのは”脳”じゃん!

でもご安心下さい。これはあらゆるほかの思想と対立するわけじゃないんです。
自然科学者や人文科学者がなぜ脳に言及しなかったか、それは多分
気づかなかったんじゃなくて、”当然だから言及が必要だなんて思わなかった”だけ。
脳というのはこれら思想のの1段上なんですね。メタ。全ての土台。
たとえば私たちが渋谷で待ち合わせするときに、「地球上の、日本の」って言わない。
これはお互い共通の、当然の前提(土台)だから。
それと同じように私たち人間は、全ての考える土台としての脳を、わざわざ省いて生活している。
「私の脳が考えるには」、「私の脳の働きによると」、「私の脳が見たことには」なんて言わない。

でも良く考えたら私たち、その土台のことをまったく知らない。
地球の中で何が起こっているのか、そもそもどうやって地球が存在し得ているのか気にしないように。
この本は、私たちがいかに脳を知らないかを教えてくれる。

でもまだ疑問かもしれない。
「”脳”なの?”心”じゃないの?」

著者は言う。『心は脳という構造の機能である』と。

循環が、心臓という構造の機能であるように。
脳をいくら分解しても心は出てこない。
心臓を分解しても循環という機能が見つけられないように。

脳がどうやって心を”機能”させているか。
いろいろな事例があって面白いです。

一番私が興味を引かれたのは「言語」についての記述。
「前にも述べたが、素朴に考えれば、むしろいちばん不思議なのは、われわれが、視覚によるものも聴覚によるものも一緒くたにして「言語」と称していることの方である。

視覚と聴覚は、脳の中で受容する場所が違う。
なのになぜ同じ「言語」として扱われているのか。
字は聞こえないし、音は見えない。
私たちは、言語は一つのものだと思っているけれど、
本当はまさしく”言”と”語”に分かれている。
その上聴覚系には”音声言語”と”音楽”の区別がある。
(視覚系にも”文章”と”楽譜”の区別はありますが・・)

そして視覚に時間を与えるのは聴覚である。
聴覚は、文章に起承転結を与えて物語に、楽譜に序破急を与えて音楽にする。

視覚と聴覚との融合。
(もちろん障害がある場合もある。でも視覚は触覚で、聴覚は運動系(身体)で同じように感じる方法を私たちは持っている。)


あまり自分は考えてこなかったけれど、たしかにそうだ。
文章を音読する人もいれば、写真のように一瞬で見て取る人もいる。
楽譜をドレミで読む人もいれば、そのまま音楽が鳴り出す人もいる。
人間の不思議だなあ、と思います。そして可能性がある。とても。
言語と音楽との関係について、もう一つ言いたいことがある。それは斉藤秀雄氏のことである。
氏のお弟子さんは、たくさんおられる。その一人に伺ったことだが、作曲家にはそれぞれの文法がある。
演奏家は、それにしたがって解釈を施し、演奏を行う。
それが、斉藤氏の教えだったというのである。斉藤氏の父君は、斉藤秀三郎氏である。こちらは著名な英文学者である。
 音楽と言語とを、同じようなものとは、普通考えないであろう。しかし、そう考えて、それを実行した人もいるのである。
それが斉藤氏の成功の原因か否か、それは私は知らない。

もくじ。
はじめに
唯脳論とはなにか
心身論と唯脳論
「もの」としての脳
計算機という脳の進化
位置を知る
脳は脳のことしか知らない
デカルト・意識・睡眠
意識の役割
言語の発生
言語の周辺
時間
運動と目的論
脳と身体
エピローグ


脳は受け取るだけではなく、脳の機能を外界にも適用する。
著者は最後の「脳と身体」で言う。

社会は、生物のなかでいちばん大きな(比率的に)人間の脳の産物である。
建造物、文学、教育、制度、それらは全て脳化の産物である。
私たちは脳を信じ、脳の考えるままに社会を作ってきた。
・・そこに私たちの脳の身体性(=自然)という側面を残して。

「人工」、と人が言ったとき、感じるその物質的で冷たい感覚、
それを生み出す、脳という究極の自然。
そんな関係を発見させてくれる、いい本です。

難しいところもあるけれど一般人向けだし、
多分それぞれのフィールドの人によって読み取り方が違って、それぞれ楽しいと思う。

心は脳の機能だからなんて、悲観的にならないことだけは保証します。
現実を直視してもなおロマンティックな夢を見られる機能を、
私たちの脳は持っているのだから。

author: chanm
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Brita スポーツボトル型浄水器 フィル&ゴー

Brita スポーツボトル型浄水器 フィル&ゴー
Brita スポーツボトル型浄水器 フィル&ゴー

最近、水を飲み始めただす

なんだけど、水買ってばっかりいたら高いっす。
水道から出てるの飲めよ、という話もありますが(さわやか信州だし)、
そうはいっても塩素入ってるしーなどと。

そこで思い出したのがブリタの浄水器。濾過式。
リーズナブルなのにハイパワー。
なんせあの赤みがかった(いや黄色か)つ○ば水を、
つく○に始めて済んだ人間全員に「何はなくとも浄水器」と
お買い物に駆り立てる力を持つつ○ば水を、
飲める水に変えてしまった実績を持つ。

これのペットボトル(スポーツボトル)バージョンが
フィル&ゴーであります。

がつんと水道水を入れて、飲むときに
活性炭フィルターを通って水が濾過される。
塩素除去率97%、カートリッジは57リットルの濾過能力(3ヶ月くらい?)で
1000円。1リットル約18円っす。

これで十分であります。
コップに注いで、いまはやりのにがりでも入れれば
立派なミネラルウォーターね。

これからはデスクワークのお供です。

あ、本体は2,000円。
そこら辺に売ってるのかな。
ウェブで買おうと思って最初楽天見たんだけど、
安くなってても送料600円とか取られて意味なかったりするのよね。

と思ったらアマゾンに売ってました。
1500円以上だと送料無料やね、ここ。
大好き。


水は冷たい方がよい、ってひとは氷入れてもいいし、
コップに注いで氷を足してもいいし。
でも常温の方が体にいいんだよー。多分。

700ml。ちとでかい。まあよい。
最後のほう、出が悪くなる、まあよい。




author: chanm
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負け犬の遠吠え

負け犬の遠吠え
負け犬の遠吠え
酒井 順子

満を持して。
と思ったらブーム過ぎ去り??
読みたい、と一時期騒いでいたら人から貸していただけました。
結構前に読んだんだってば!JUGEMが壊れてっから!もう。

さておき。
「負け犬とは?」等々、概要的なことはこちらに恐ろしく丁寧にまとめられているので参照のこと(ていうかこのまとめで本読まなくても十分な気が・・)。

別に研究論文ではないので特にデータ、論証の裏付け、等全くなく、
著者周辺の現状・雑感を手際よくまとめて論評としてある。
のでカテゴリ的にはエッセイかな。
でも「30代以上、未婚、子ナシ」が世間でどういう目にあっているか、
どんなことを考えているか、
現状は裏を取ってもたぶんこんなもんだろうなという、
たいていの状況・感情を網羅してあるので
男女ともいいお勉強が出来ると思う。

「30代以上、未婚、子ナシ」をこの人が負け犬と言ったのは、
賛否両論あるにせよ、私はアリだと思う。
何世代か前は確実に、「30代以上、未婚、子ナシ」の女に
存在意義が認められなかった時代があったわけでしょ。
それがいまだに残ってる。
結婚して、子供生むのが女の務め、それが出来なきゃ存在しててもしょうがない。
そんな、日本の底辺を流れる感情が、
薄まったとは言えまだ残っており、それに対抗するには
「負け犬ですが何か?」と開き直るしかない、というわけだ。

年寄りはもちろん、男の目、家族の目、既に結婚した勝ち犬女の目、
そんな「世間」という無言のプレッシャーにいちいち自分の正当性を主張しても疲れるからむしろ、こうやって開き直りましょう、と。


実際には、私は結婚なんて(したことないが)タイミングだと思ってる。
したい人と、したいと時と、出来る条件があれば、人はするだろう。

それがたまたまなかっただけで、
それを無理やり作るという(昔のような)こともせず、
それはそれ、として人生をまっとうに楽しんで生きているのだ、負け犬は。

多少バカっぽくて、男を立てて、愛嬌の一つでも振りまけば、
”下方婚/低方婚”好き(自分より社会的地位が下であるような女性と結婚したがる)の
日本人男性と結婚するのは簡単だ。
でもダテに小ぎれいで、教養があって、ウィットあって、面白くて、
恋愛経験も豊富な負け犬に、いまさらそんなことが出来るわけがない。
(参考資料:憂鬱なプログラマによるオブジェクト思考日記さん)
20代までに稼いだ金を男に貢がず全て自己投資に賭けてきた女の結果を
そんじょそこらのふつーの男にささげる気にもなれず、
さらに独走態勢の負け犬。

ですが何か?

という本。

まあ、面白いよ。結構男の人が勉強になるかもねぇ。


昨今の晩婚化や少子化についてはいろんな論評があるけど
私の意見としてはただ一つ、みんな「自分好き」になっただけじゃないかな、
って気がする。

基本的には男の人って自分好きじゃん?
地位にこだわり、仕事にこだわり、勝ち負けにこだわり、趣味にこだわり、自分の時間にこだわる。
つまり人生で一番大事なのは「自己実現」。
で、そんな自分をいつでも待っていてくれる「女の人」が欲しいというか、
自己実現の一環として女の人が必要。
そこそこの仕事、そこそこの趣味、いけてる容姿、いけてる料理、
で、彼氏・旦那さんが一番って人。
自分は彼女・奥さんだけが人生だってわけじゃないくせに、
女性にはわりとそういうものを求める。
結婚を機に仕事辞めたりね。男の人は絶対出来ないと思うけど。

昔はそれでいい、という女の人も多かった。
結婚って、男の人にとっては人生の1イベントでも、
女の人には第2の人生(今までの人生をリセット)ってくらいの
インパクトがあったんじゃないかな。
つまりは自分の今までをリセットしてこれからは、
男の人合わせで行きますという。

でも最近は女の人も負けず劣らず自己実現に努めるのよね。
夢はお嫁さん、なんて言っている場合でもない世の中だし。
案外自由だし、楽しいこといっぱいあるし。
よく考えたら男より劣るのって体力くらいだし。
結婚で男に合わせて幸せになるとも限らないし。
自分で自分の人生を作り上げないと、みたいな。
その自己実現の一環として、またはその環境として、
それなりの男性??よく言う、理解のある男性??を求める。

そうすると今までの需給バランスとちょっと崩れる。
まず、奥さんの自分好きを許容できる男の人はそんなにいない。
(仮に、自分と同じレベルで「こだわり」や「自分の世界」があったり「仕事が大成功して」いる人と結婚するのを想像してみてください>男性陣)
次に女性も、「経済力があって」とか、「仕事が出来て」とか、それでいて「家事育児をしてくれて」とか、「理解があって」とか、「教養があって一緒に高尚な趣味を楽しめて」とか、とにかく自己実現路線を傷つけられない相手を探す。

お互い「自分好き」だから、
譲れないもの??結婚するときに犠牲に出来ないもの??が多すぎる。
結婚より以前に・・出会うのさえ無理だよなあ。

子供もそう。
夫婦の生活楽しいし。経済的余裕もないし。
世間にあわせて子作りしてたら、自分の人生いつ楽しむの?
みたいな感覚。



これを私は特に悪いことだとは思わない・・ので、
晩婚化や少子化を「解決」しなきゃいけないのかは不明ですが、
どうだろう、そうそうどうにかなるもんじゃないような。

だいたい40くらいになればさ、みんな「自己実現」に一燃焼出来てるだろうから、
もしかしたらそこが新しい適齢期なのかもね。
高齢出産はさ、医学にがんばってもらって・・。
そうすれば「負け犬」なんていわなくて済むし。

もしくは・・一夫多妻制か・・。
ううむ。


ところで20代後半女子(負け犬予備軍??)の私は
負け犬の先輩(30代前半)にこの本の話題を何度か振ってみたのですが
案外空気が気まずくなり、
あれ、結構笑い飛ばせないレベル?と
ちょっとびびったのでありました。冷や汗
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バトル・ロワイアル

バトル・ロワイアル―Pulp fiction
バトル・ロワイアル―Pulp fiction
高見 広春

2段組で666ページ。結構な分量である。
香川県城岩町立城岩中学校三年B組42人の殺し合いが終わるまで。

原作の方が面白い(というか、殺しあうだけじゃないよ)と友達に
言われて読み始めた。

自分がまだ読み終わらないうちに、
既に読み終わっていた佐世保の小学生の女の子が殺人をしていた。

映画やら漫画にもなっているくらい有名なので
あまりストーリーの説明をしなくてもいいような。
一応背表紙から。

西暦1997年、東洋の全体主義国家、大東亜共和国。
この国では毎年、全国の中学3年生を対象に任意の50ク
ラスを選び、国防上必要な戦闘シミュレーションと称する
殺人ゲーム、”プログラム”を行っていた。ゲームはク
ラスごとに実施、生徒たちは与えられた武器で互いに殺
しあい、最後に残った一人だけは家に帰ることができる。

香川県城岩町率城岩中学校3年B組みの七原秋也ら生徒
42人は、夜のうちに修学旅行のバスごと政府に拉致され、
高松市沖の小さな島に連行された。催眠ガスによる眠りか
ら覚めた秋也たちに、坂持金発と名乗る政府の役人が、
”プログラム”の開始を告げる。

映画で北野武演じる坂持のせりふ、
「今日は、皆さんにちょっと、殺し合いをしてもらいまーす」
から、シュールな物語は始まる。

倫理的にどうなのということから始まって
あからさまに嫌悪を感じる人も多いと思うけれど、
本自体は普通に小説だ。
イラクでさくっと40人が爆死する現実とは違って。

最初は名前覚えるの、めんどくさい本だなと思った。
主人公に割く割合は多いものの、
一人ひとりを丁寧に追っている(主に、死に際する瞬間)。
章が終わるたびに【残り○○人】と注釈。
読み終わる頃にはそれぞれの子達の
顔が浮かんでくるようだった。
記憶力に乏しい私にこれだけ記憶させたのだ。偉いこの本。
(これが単語集だったらねぇ。)

佐世保の女の子がしていたように、
自分も考えてみる。自分がもしこの状況に陥ったら・・・。

今の日本みたいなことを言うかな。
自衛はするけど自分からは行きません。
強い人にくっついていきます、みたいな。

でもこのゲームは最後の1人にならないと
どの道時間切れで全員死んでしまう。

生き残る自信はないし、どうせ死ぬなら、
わざわざクラスメートを殺さなくても、、
ってことで最初から自殺するだろうなあ。

特に感想はないけれど、
平和な日本に生まれて、自己防衛能力もなくここまできちゃったけど、
ちょっと武道くらいやったほうがいいかしらんと
訳もなく反省。

中学3年生、一人一人の死に様と生き様、普通にエンタテイメントとして、どうぞ。
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author: chanm
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朝4時起きの仕事術―誰も知らない「朝いちばん」活用法

朝4時起きの仕事術―誰も知らない「朝いちばん」活用法
朝4時起きの仕事術―誰も知らない「朝いちばん」活用法
中島 孝志

ここ1,2年早起き本に興味津々であります。
1,2年も興味を持ち続けている理由は
失敗し続けているからなんだけれど・・・・(・e・)
だいたい、早く寝ろってね。

まあまあ、方法マニアなのでしょうがない、ついつい読んでいるわけです。
著者は有名な人なので
ビジネスマンの人ならみんな知っているんではないでしょうか。
作家だったり、経営コンサルタントだったり、自分で経営したりしていらっはいます。

の、時間の活用法についての本です。
誰も知らない・・の割には、なんせ朝型本マニアなので既視感が強いのですが、
でも実践していたのはこの方が早いんではないでしょうかね。
コンセプトとしては、

○頭は午前中に一番ちゃんと働くんだからそこにピークをもってこよう。
○夜の方が頭が働くっていうけど、散々仕事した後の能力はろくなもんではない。
○朝早いと(出社も・礼状も・クレーム処理も・営業も)印象がよくて相当お得
○成功している人はたいてい早起き
○お昼までに1仕事、午後は別の仕事ができるものなのだ。

じつはそれぞれの項目にフォーカスしたまた別の本をもっているので(マニア)
その再確認といった感じであった。またそれは別の機会に紹介するとして、
ひとつ感慨深かったのは、著者の起きかたである。

ぜんぜん目覚ましを使わないんだそうだ。
体内時計を大切にしていて、大体は思ったとおりの時間に起きるし、
そもそも小鳥の声や自然の光でぜんぜん起きられるとのこと。

目覚まし時計って人がレム睡眠でもノンレム睡眠でもかまわず
突然機械音が鳴り響いて起こされるわけだから
脳にとっては相当なストレスでは、
とのご見解。

・・・・激しく同意・・・・。

最近目覚まし時計たくさん法を採っている私であるが、
最初はほんとに目覚ましの音にしてたら、
どうにか起きられるものの、大変気分が悪いのである。
最近はお気に入りの曲とかにしたんだけれど、
それでも朝突然鳴られたら、どうやっても気分よくはならない。

ただ起きればいいんじゃなくて、
起き方が重要よね。
なんせ一日の始まりだしね。

早起きのことだけでなく、その早く起きた時間をビジネスマンとして
どう活用していくかの事例がいろいろと載っていますので
早起き本とビジネス本を一つずつ買うよりはお得ではないでせうか。



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author: chanm
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辞世のことば

辞世のことば
辞世のことば
中西 進

死ぬということがどういうことなのか
誰も死んだことがないのでわからない。

それだけにいろいろと形而上学的な話は尽きないのだけれど、
物質的には自分が滅し、そしてそのほかの世界はあり続ける、ということで、

「辞世」っていい言葉だなあと思う。
Goodbye, the world. Goodbye, my life. Goodbye, everything!
私はここで世の中から、降ります、それじゃ!みたいな。


って実際はそんなにさくっと行くはずはなく、
凡人はたいてい、望まない死、諦められない生、
それらにこだわる自分自身に身悶えて死んでいくのでありますが・・

この本は昔の有名な日本人の
死に際して遺した言葉の数々が、その人の人となり、
死に至るエピソードと共に紹介されています。

死ぬ間際に言った言葉っていうよりは
自分が世の中に遺す最後の言葉と、その人が自覚して綴った言葉。
死ぬと決めたり、死ぬとわかったときに、悶えてないで、言葉を残す。
辞世とはなんと、すがすがしい行為でせうか。
たとえそれがかっこつけでも、つよがりでも。

取り上げられているのはそれこそ大化の改新の時代から近代まで、皇子、戦国武将、作家、歌人、僧侶、そうそうたる有名な方々。
有名なのは信長ですよね、私はこれくらいしか知ってるのがなかった。
人間五十年 下天のうちに比ぶれば 夢幻のごとくなり
一たび生を得て 滅せぬもののあるべきか (『敦盛』)

最近死が簡単だなあ、と思うしかないような
悲しいニュースが多いけれども
死が簡単なのは、生が簡単だからだよね。
簡単に生きられるから、簡単にそれを終わらせられる。

自分が辞世のことばなんて柄ではないけれど、
死ぬときに万が一何か残しても白けられないくらいには
生を重く受け止めて、生きていきたいと思うわけです。

もくじ

生と死とことば(まえがき)

一 刑に挑む
二 力に生きて
三 自裁
四 漂泊の果て
五 入滅
六 知性の死
七 詩心の行方
八 戯と俳の中に


しかし明日死ぬとなると、辞世のことばが
さしずめ「しまった部屋の掃除が!」とかになってしまいそうである。
修行でござる。

author: chanm
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本とか。物とか。

ちょっと違うところのブログにお出かけしてましたが、じゅげむに出戻りました。
フォーレ:レクイエム 20世紀少年―本格科学冒険漫画 (22) (ビッグコミックス)